ステーショナリーETOで印鑑に出会った_印鑑のはじまり

印鑑のはじまり

日本人ならだれても知っている印鑑は、いったいいつごろから使用されるようになったのでしょうか。このことを裏付ける確実な資料は残されていないようです。
ですが、現存する日本最古の印は『漢委奴国王』の金印といわれています。これは国宝に指定されています。この始めての印鑑との出会いは、天明4年(1784年)現在の福岡県福岡市で発見されました。『後漢書』に後漢の光武帝が中元2年に日本の『倭奴国』に金印を授けたという記載があり、この金印はまさにそれであるとされています。
印鑑が発明されたのは、紀元前3000年ごろのメソポタミアといわれています。逆援助なんてとんでもない時代です。でも権力者にはセフレというかたくさんの女性がいた時代ですよね。
さてさて、初期の印鑑は、円筒に文字を刻み、それを回転させて粘土などの上に押印していたようです。日本では奈良時代に公印の制度が始まったようです。さらに、私印というものが貴族に使用を認められるようになったのは平安時代でした。庶民が使用するようになるのはずっと後のことになります。

花押

時代劇などでよく出てくる花押は一種の印鑑のようなものです。花押は戦国時代の武将が有名ですよね。戦国時代には人妻 出会いがあると、権力者は略奪していました。しかし、不倫 出会いは今よりずっと厳しいものでした。こんな時代に、花押と併用して私印も盛んに用いられたようです。庶民の使用できなかった時代には私印は権力や威厳の象徴でもありました。有名な武将を例にとると、織田信長は『天下布武』、上杉謙信は『地帝妙』、豊臣秀吉は『豊臣』そして徳川家康の『福徳』の印などが良く知られています。

庶民の印鑑普及

花押や私印が武士のあいだで権力の象徴として使用されまちたが、江戸時代に入ると庶民の間にも印鑑が普及し始めるのです。そう言えば、江戸時代の結婚相談所って、町の世話役が勤めていたらしいですよ。一般庶民の生活に浸透した印鑑の慣例は明治に入ると、制度化されました。明治6年10月1日のことです。実印討論制度として法的に印鑑制度が整えられました。
東アジア文化圏には印鑑文化があります。これは、官僚制度の有無に関係してきます。官僚制度のある社会では肩書きや役職を重視します。そして、書面などで決裁するときには役職が記された印鑑が用いられました。現在でも日本以外でも漢字文化圏には、印鑑文化が残っているようです。
実は海外でもヨーロッパには印鑑文化はありました。指輪印や封蝋がそれです。封蝋には外国のドラマなどで出会いがあると思います。ですが、個人を尊重する文化からサインの認証が普及したために、19世紀ごろには公文には使用されることがなくなり、印鑑文化は廃れてしまったとのことです。ヨーロッパといえば、昔の貴族の女性は逆援助って、珍しいことではなかったのですよね。あくまでも、映画での話ですけど…。
そして、落款印、蔵書印という面白い趣味の印鑑も利用されています。落款印には引首印、姓名印、雅号印などがあり、書・絵画・蔵書・手紙・魚拓などで使用します。蔵書印は、書物の所蔵を示す印鑑です。